“いつも隣りにいるような社労士”でありたいです。
職場のみんなが身近に感じていた安東先生
私が社会保険労務士という職業を知ったのは、新卒で就職した会社の顧問社労士だった安東先生との出会いからです。当時74歳の安東先生はいつもハツラツとして、楽しそうに仕事をされていました。来社時はいつのまにか朝礼の体操に混ざっていたり、女性社員たちとランチをしたり…気づけば隣りに座っているような身近な存在でした。総務に配属された私に経理の手続きや伝票の書き方を丁寧に教えてくれ、「総務は金を稼いでこない部署だから蔑ろにされがちだが、実はすごく大事な仕事」と励ましてくださいました。
海軍出身だった先生は時に厳しく、上司に「女性社員に弁当を買いに行かせるな」とか「妊娠中の社員の傍で煙草を吸うな」と社員の気持ちを代弁してくれることもありました。
23歳の時、私は交通事故に遭い、右足を33針も縫う大怪我をしました。その時も安東先生は入院手当や傷病手当など手厚い保障が受けられるよう尽力してくださいました。先生の人柄と社会保険労務士の仕事に、私は大きな魅力を感じたのでした。
個々の持ち味を活かし、力に変える会社に
私は結婚と出産のため25歳で最初の会社を辞めましたが、長女が生まれるとすぐに子連れで通える職場で働き始めました。結婚式の引き出物などを扱う会社で、最初は経理担当でしたが、2年後に営業職になると仕事が面白くて、10年ほどのめり込みました。そして長女が小学校高学年になる頃、もっと家庭を大切にせねばと反省して、主人が単身赴任していた鹿児島へ引っ越し、専業主婦になりました。
しかし(笑)…。元来じっとしていられない私はこの時期、資格試験にハマるのです。家事の合間を縫っては勉強し、宅建や簿記を取りました。そして安東先生を思い出し、遂に社労士に挑戦することに。ちょうど長女の中学受験前で、机を並べて勉強したことが良い思い出です。結局2度目の試験で社労士資格を取り、次女も生まれて我が家は福岡に帰ってきました。
それから税理士事務所を経て、福岡労働局の助成金センターに3年間勤めました。その後、社労士事務所で実務を経験して当事務所を開きました。
私はこの時期、会社経営や組織のあり方を日々考えさせられました。優しく控えめな人間が弱い立場になり、力を持った人間が支配する関係が見受けられたのです。社員の声に耳を傾け、個々の持ち味を活かせば、会社自体が伸びるのに…と思う事案が度々ありました。私は事務所を開き「自分の顧問先は風通しが良く、適度な緊張感と働きやすさがある環境にしたい」と強く思ったのです。
経営者の心身が健やかでいられるお手伝いを
私の経歴の中で最も役立っているのは、助成金センターで事業主申請アドバイザーを務めた経験だと思います。助成金は打出の小槌ではありませんが、真面目に頑張ろうとする経営者には本当に助けになります。ただ支給要件の難しさがあるので、申請はプロに頼むことをお勧めします。
これまで多くの助成金支給をお手伝いさせていただきました。例えば、あるネイルサロンのオーナー様は未経験者が雇用できないという悩みをおもちでした。ネイリストは技術職ですから、未経験者を雇った場合、一定期間は育てるだけで売上には繋がりません。しかし給与は払わねばなりませんから経営は苦しくなるばかり。そこで私の方で半年間の賃金助成を申請したのです。この制度で未経験者を正社員雇用して育てることができるようになったと、オーナー様に大変喜んでいただきました。これぞ社労士の醍醐味です。
資金繰りや社員の管理に頭を悩ませて、経営者が心を病んでは会社が上手くいくはずがありません。経営者の心身が常に健やかであることが、より良い経営の基本だと思っています。
プライベートでは、娘たちの話を聞きながらお酒を飲む夕食が至福の時です。よく娘たちから「日本一オープンマインドな48歳」とからかわれますが、自分でも誰とでも本音で話せる性格だと思います。
経営者と社労士が本音で話すことで前に進めることはたくさんあります。悩んだ時はもちろん、日頃から身近に感じてもらえることが大切だと思っています。だから私が目指すのは“いつも隣りにいるような社労士”です。